當寺の奥の院は、境内から車で5分ほど離れた木原山(雁回山)山頂にあり、かつて本堂の不動明王を厚く信仰したという源為朝が築いた城跡に建立されたと伝えられています。
(上部写真は奥之院から金峰山を望む)
本尊・阿弥陀如来をはじめ、観世音菩薩・勢至菩薩・不動明王・毘沙門天の五体がまつられ、外には石造りの不動明王も鎮座します。
江戸時代以前、同じく木原にある六殿神社(現存する楼門は国指定重要文化財)の下にあった社僧寺の円福寺が廃寺同様になるのを見て、現在の地に遷し奉ったといわれています。
昭和31年4月の改築以来、近年の台風などでお堂が荒廃し、仏像も老朽化していましたが、平成15年に仏像の修復とともに新たに新築されました。
木原山(雁回山)は山全体が霊威に包まれており、今も信者の方々の祈りの場・心の癒しの場となっています。
奥之院
奥之院までの遊歩道
後白河天皇の御代であった保元・平治のころ、九州に下向し肥後に入った鎮西八郎為朝こと源為朝は木原山の要害に城館を築き、鬼門の方角に当る當寺の不動尊を深く信仰したと伝えられています。
為朝は幼少より膂力(りょりょく)並みならず、弓の名手でした。狩りに出れば山上を飛翔する雁を剛弓でことごとく射落としてしまいました。それから雁が木原山を越える際、山を回っていくようになったことから雁回山と号されるようになったといわれています。本堂正面入り口上に掲げられている雁回山の扁額は、宇土藩五代藩主細川興文(月翁)の揮毫によるものです。